【みっともない?!】
今日も母のお風呂の介助に行った。
母は相変わらず脳梗塞の後遺症で不自由になった体を
受け入れることが出来ずに嘆いている。
母「なんでこうなっちゃたのかね~。
本当にかっこ悪いったらありゃしない。
年取るって本当にみっともなくて嫌だね・・・」
私「そうなんだ、自分の事かっこ悪いって思ってるんだ・・・
でもね、お母さんがカッコ良かったのって何時?
思い返してみて・・・。
そうだよね!お母さんはずっと自分のこと
カッコ悪いって思ってたよね。
だから、お母さんの中では自分が
カッコ良かった時なんてなかったんじゃない?」
私たちは現状の自分に満足して
ありのままの自分を愛することがとても苦手だ・・・。
若くて健康で夢一杯になっている時でさえ
誰かと比較し持っていないものに
フォーカスして自分の不完全さを嘆く・・・。
歳月が経てば自分は完全になるのか?
もちろん答えはNOだ・・・。
しわくちゃになった顔を鏡で見た時
やっと自分が失った大切なものに気づき
今度は若い健康な頃の自分が比較対象となる・・・。
私たちの心はいつだって無い物ねだりで
現状には不満だらけだ。
私「お母さん、ちょっと目を瞑って
生まれたばかりの頃の自分を想像してみて。
生まれたての自分に名前はついてた?
生まれたての自分は男か女か知ってた?
生まれたての自分はみっともないって思ってた?
そうだよね!生まれた時には
自分がみっともないなんて思ってないよね・・・。
じゃあどうしてそう思うようになったんだろう?
そうそう!それは誰かにそう言われたり
誰かと比較して自己卑下したからだよね。
みっともないなんて、そんなの後付けだから
そろそろそんな考え手放しちゃえば!!
私はお母さんの蛇みたいにクネクネした背骨も
何時も深くお辞儀しているようなその姿勢も
中々味わいがあると思う。
それに何よりも80年よー頑張ったよね・・・。」
今日も母とこんな会話を繰り返したあと
母の背中を流しながら問いかけた。
私「赤ちゃんは生まれてから暫くは寝てばかりで
目の焦点も定まらない。でも、そこから約1年かけて
段々歩けるようになっていくよね。。。
年取って動けなくなるのは、その動きを
逆回ししているような感じだよね。。。
それは「みっともないこと」って考えているみたいだけど、
1、その考えって本当かな?
2、その考えがないとしたらどう感じる?」
そうしたら母は「そんな難しいこと分かんないよ~
頭洗ったっけ・・・?」だって(笑)
さて、チャイムが鳴ったから今日のレッスンは終了
次の機会を待ちましょう・・・。
(OSHOの言葉より)
死は、いつの日にもあなたの扉をノックするだろう。
準備しておきなさい。死が扉を叩く前に、家に戻ることだ。
途中でつかまってはいけない。
さもなければ、この生のすべては夢のごとく消え失せ、
あなたはとてつもない貧しさ、
内なる貧しさの中に置き去りにされる。
生は、本物の生は、けっして死なない。
それなら、誰が死ぬのか?あなたが死ぬ。
その「私」が、エゴが死ぬのだ。
エゴを落とせれば、あなたは死を克服したのだ。
もしあなたがほんとうに気づいていれば、
それはたった一歩で落とせる。
あまり気づいてなければ、徐々に
落とさなくてはならないだろう。それはあなた次第だ。
しかし、エゴは落ちなくてはならない、それだけは確かだ。
エゴが消えれば、死も消える。
エゴが落ちると同時に、死もまた落ちる。
(by OSHO)
OSHOが言っていたように、生きているうちにエゴを
落とすことが出来れば私たちにとって「死」という概念は
蜃気楼のように消えていく。
もちろん、死のその瞬間にエゴを一瞬で落とせれば
私たちは気付きの意識の源泉に帰れる。
でも、そうなる保証はどこにもない。
だから、出来る限り生きているうちに
エゴを落としておいたほうが良い。
母にどのくらいの時間があるか分からない・・・。
それ以前に自分にどれ位の時間があるのかさえ分からない。
死は生の頂点だ!その卒業パーティーを
至福のひと時にするかどうかは私たちの心の準備にかかってる・・・。
いつその時が来ても良いように心の動きを止めよう!
「私はみっともなくない!」母の中にある気持ちは
私の心の中にも染み込んでいた・・・。