こんにちは
先日からビジネス書売上ランキング1位のロングセラー「完訳版7つの習慣」をちょっと、思う所があって再度手にして読んでいます。この書はとても有名なので、内容について詳しい方もいらっしゃるのではないでしょうか?でも人間の記憶ってあまり当てにならないですね。本当にこの本読んだことある?って言うくらい以前読んだ内容をすっかり忘れてしまっていました。またこの本のジャンルはビジネス書だけど、これは人生の指南書としてもとても役立つ内容だったという事を改めて知りました。
そこで忘備録として忘れっぽい自分の為に気になった部分をここにメモしておこうと思います。
(以下本文の内容から気になった部分を抜粋しています。)
この本の第1の習慣が「主体的であること」なのですが、ここでいう主体性の意味は「人間として、自分の人生の責任を引き受ける事。」です。
つまり主体的である人は、周りの状況に左右されずに、自分自身の決定と選択の結果に責任を持っています。
責任は英語でレスポンスビリティ(responsibility)と言いますが、この単語はレスポンス(response反応)とアビリティ(ability能力)という二つの言葉で出来ています。つまり責任とは反応する能力のことなのです。
エレノア・ルーズベルト(フランクリン・ルーズベルト大統領夫人)は、「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。」という言葉を残しています。私たちは、自分の身に起こった事で傷ついていると思っていますが、実際には、その出来事を受け入れ容認する選択をしたことによって傷ついています。自分の不幸を状況や他者のせいにしてきたのであればなおさらの事です。
人は本来主体的な存在ですが、人生が条件付けや状況に支配されているとしたらそれは、支配される事を自分で選択したからに他ならないのです。そのような選択をすると、人は反応的になります。反応的な人は、周りの物理的な環境に影響を受け、天気が良ければ気分もよくなるけど、天気が悪いと気持ちがふさぎ、行動も鈍くなります。それに対して、主体的な人は自分の中に自分の天気を持っているので、雨が降ろうが晴れようが関係なく、自分の価値観に基づいて行動できるという訳です。
それにしても責任という言葉は「反応する能力」の事だったのですね!自分が主体的になって成長していくにつれて周りの事象には心をかき乱される事は無くなっていくという訳ですね。こういう視点が出来てくると、見るものすべてを欲しがり何度も誕生日のプレゼントの前倒しをお願いする長男や酔っぱらって午前様で帰宅しわざわざ寝た子と私を起こし大騒ぎさせる夫が、私の主体性を成長させる手伝いをしてくれるありがたい存在に思えてきました。
彼らは私の成長の為に頑張っているのですね!まあそんな風に視点を変えれば、物欲に支配された息子におねだりされたり、酔っ払いに夜中に起こされても心がかき乱される事もなくなるでしょう(笑)
それから本文中の人々が一般的に人生の中心に置くものの記述が有ったのですが、これがまた傑作でした。
人は誰でも自分の中心を持っている。でも概して普段はその中心を意識していないし、その中心が人生の側面に大きな影響を及ばしている事に気付いてもいない。
そういえば我が家では夫婦喧嘩は激減したな・・
さまざまな中心と、安定性に影響する要素
配偶者中心だったら
・心の安定は相手の行動や態度に左右される
・相手の気分や感情に過剰に反応する
・相手と意見が合わないと、あるいは相手が自分の期待に応えてくれないと酷く失望し、喧嘩になるか逆に自分の殻に閉じこもってしまう。
・相手との関係に入ってくることは何でも脅威に感じる。
家族中心だったら
・家族に受け入れられ、家族の期待に応える事で安定を得る。
・心の安定は、家庭の状況で変化する。
・家族の社会的評価が良ければ自分の価値を保てる。
お金中心だったら
・自分の存在価値は資産の額で決まる。
・経済的安定を脅かすものに過剰に反応する。
仕事中心だったら
・勤めている会社や職業で自分の価値を決めてしまう。
・仕事をしているとき以外は何となく落ち着かず、不安である。
・仕事をしていると安心。
所有物中心だったら
・心の安定は、自分の評価や社会的地位、所有物から得ている。
・自分と所有物と他者の所有物と比べる傾向がある。
娯楽中心だったら
・楽しくて「ハイ」になっている状態の時にしか心の安定は得られない。
・心の安定は周りの環境に左右され、長く続かず、楽しくないとやる気がしない。
友人中心だったら
・心の安定は社会通念の鏡に自分がどう映るかで左右される。
・他者の意見に振り回される。
敵中心だったら
・心の安定は敵対する相手の一挙手一投足に揺れ動く。
・敵対している相手が何をしているのかいつも気になる。
・敵対する相手に同じように批判的な人を探し、自分を正当化する。
教会中心だったら
・所属する教会の活動、その境界の有力者から自分がどう思われているかによって心の安定を
・他者の宗教的信条との比較にアイデンティティを見出している。
自己中心だったら
・心は絶えず不安定である。
・自分の気分がよくなるか、自分が欲しいものは何か、自分が必要なものは何か、自分にとって利益があるかを基準に物事を判断する。
これ以外にもにもアイドル中心で、アイドルの言動に人生を委ねエネルギーを使っている人とか、食べる事中心で、食事を一食抜くと野生動物の様にえらく機嫌が悪くなる人なんかもいますよね。他にも、ペット中心、部活動中心、学業中心なんていうのも有りますね。
でもこれって結構面白くないですか?いるいるそういう人!って、私も思わず知人の顔を思い浮かべながら、ここの部分は読みました。他人の事は冷静に分析出来るんですよね。でも自分の事は案外見えてない。「自分の中心ってなんだろうか?」ちょっと皆様も考えてみて下さい。
それで私の中心は何かって?
中心ってその時々によって結構変わりますよね。
結婚した当初は配偶者中心だっただろうし、子供が生まれた後は子供中心、開業した当初は仕事やお金中心、陰謀論に目覚めた当初は陰謀論中心、今は子供中心ていうのは相変わらずですが、考える事もだんだん減って来たから、食べる事中心だったりして・・(笑)。
↧
「責任」この言葉の意味分かるかな?
↧