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虚栄心♪

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こんばんは♪

途中まで読んで、ずっとそのまま放置していた「魂の法則」をやっと読み終えました。なんでこんなに読むのに時間が掛かったんだろうか?きっと自分がこの本に書いて有る内容を受け入れられる時期にまだ来ていなかったから、本能的に読まずに避けていたのかな?と思っています。
特にこの本の中で、人類の3/4がまだこの段階に留まっているという「虚栄心」の記述にハッとさせられました。例えば私も、ここ数年間で社会や医療の仕組み、また動物を命や権利を奪わなくても私たちは生きていける事などに気づきました。この様な気づきを得る事が出来たことは自分でも本当に素晴らしい事だったなと思います。ただ同時にまだこの事に気づいていない方たちに対して、「真実を見ようともしない。」「なんて頑固なんだ!」「動物の肉を食べるなんて波動が低い。」「どうせ何言っても気づくことはないだろう。」等というような思いを抱いていました。
つまり知らず知らずのうちに本当はそうではないのに「自分の方がいろいろ気づいたから、凄い。」「私の方が色々知っていて、真理に近づいている。」等と大いなる勘違いをした訳なのです。「魂の法則」を読んでよく分かりましたが、これは自分の虚栄心の表れだったのです。

そして「魂の法則」では虚栄心を克服する第一歩について次の様に続きます。

「虚栄心の強い者が欠点を克服する第一歩は、幸福は外部にあるのではなく、内面次第なのだと理解することだ。
我々全員が学ぶべき大切な教訓は、 真の幸福とは、他者が自分を愛すかどうかで決まるのではなく、自分が愛せるかどうかによるということだ。だから幸せになりたければ、他者が自分を愛してくれるのをがむしゃらに求めるのを止め、自分自身の感情を目覚めさせるようにしなさい。」

幸せは他者が自分を愛する事ではなく、自分が他者をどれだけ愛する事が出来るかで決まる。虚栄心の段階を乗り越える為には、その自分の内面の愛の感情をどれだけ呼び覚ますことが出来るかが大切。私はこの本を読んでこの様に理解しました。

私たちはみな、虚栄・自尊・尊大と呼ばれる我欲の3つの顕現形態を通って魂を進化させていくそうです。この虚栄心の段階を経たのちに、人を愛する事が出来るようになる自尊の段階に至るそうです。この自尊の段階についても覚えておきたいことが有りましたが、これについてはまた次の機会に書いてみたいと思います。


(魂の法則より抜粋)

*あなたが、虚栄・自尊・尊大と呼んだ我欲の三つの顕現形態のそれぞれの特徴について、さらに詳しく説明して下さいますか。
いいだろう。虚栄心・自尊心・尊大という風に、最も低俗なものから巧妙なものへと、少なくとも三つの形態に我欲を分類することが可能だ。

*虚栄心とはどういうもので、どんな顕れ方をするのでしょうか。
虚栄心は我欲の最も原始的な形態だ。これは、若い魂と、知的面では充分進歩したにも関わらず、感情面ではまだ初心者の魂に特有なものだ。
虚栄心の最大の特徴は、自分本位なことだ。特に自分が必要とすることや基本的欲求を満たすことに熱心で、他者の必要性にはほとんど、あるいは全くというほど関心を示さない。多くの場合に、他者の自由意志を侵害していることには気づかず、自分の自由意志ばかりを優先しようとする。
見栄っ張りな人は自分が中心であろうとして、他の人たちから注目されることを望む。愛をほとんど知らないので、真の愛とおだてとの違いが良く分からない。愛よりも要求が多い。それゆえ、人間関係では、愛され愛すことよりも、知名度や賞賛や賛美を求め、おだてられたり自分の要望が叶うことを好む。
見栄っ張りな人は常に自分と他者とを比較し、いつも人よりも上位に立とうとする。能力や物的面で自分より下だと見なした者を馬鹿にしたり蔑むことが多く、自分にとって有益だと思う人を過剰に賞賛する。
常に自分の利益を優先し、不公平な行動を取ることが多い。そして、利己的な行為をカモフラージュしようと、しょっちゅう事実を曲げる。感情が未発達なので自分自身に不満を覚えることが多く、孤独になるのを極端に嫌う。
他者を大いに必要とし、自分の必要性のみならず趣味や気まぐれまでを満たそうと、しばしば相手を操り思い通りにするので、周囲の人を肉体的にも精神的にも隷従させてしまうほどだ。しかし、期待する満足感が得られなければ、直ぐにその人間関係に飽きてしまう。そのため、家庭では伴侶や子ども、仕事では部下などの弱者を、自分の影響下から逃れられない所有物のように見なし、蹂躙することがしばしばである。
自分に値すると思っていた注目が得られない場合には、被害妄想や攻撃、脅しや嘘など、思いつく限りの策を弄し、いかなる手段や代償を払ってでも、注意を引こうとする。
この欠点が顕著に顕れると、そのネガティブな息詰まる波動で周りの人びとが消耗してしまうので、虚栄心というものを知らず、どう扱っていいのか分からなければ、長時間我慢できる人など滅多にいないだろう。
これが、彼らには知人は多いのに、余り友人ができない理由だ。誰も何もせず自分だけがどれほど頑張っていることか、としょっちゅう自慢するにも関わらず、努力が要ることには直ぐに飽きて、他者に責任を負わせようとする。
私心なく人にさりげなく尽くすことは稀で、いつもそれを誇示し、一般的に自分の行為以上の返礼を見返りに求める。見栄っ張りな人は、善い人になるつもりはなく、そう見せかけようとしている。
(中略)
実のところ、人類の四分の三はまだこの初期の進化段階にあり、君たちの世界の政治家層の一番の欠点が虚栄心なのだ。

虚栄心の段階は、その後の自尊心と尊大という段階と共に、完全性への道程において、全ての魂が一つ残らず通過しなくてはならないものだ。
これらの段階を超えられた者は、ある時点で自分の欠点に気づき、克服の努力をしたのであり、高次の人の見習うべき手本のお陰で、それを成し遂げることができたのだ。進化した魂たちが自分たちだけで前進して、進歩の遅い同胞を見捨てたとしたら、一体どんな愛を育んでいると言えるのだろうか?

このように露骨な説明をしてしまうと、大変手厳しく思えるだろう。しかし私には、誰かを差別したり除外する意図はなく、君たちが虚栄心という我欲の形態を理解し、その知識を自己改善に役立てるよう望んでいるのだ。

*理解によって、虚栄心を克服するにはどうしたらいいのですか。
最初の一歩は欠点を自覚することで、その次は態度を是正することだ。
自分の欠点を認識したからと言って、それが表面化しないようにできる訳ではない。自覚し認めるだけではなく、我欲に従った行動を避け、その言いなりにならずに気持ちに従って決断するなら、我欲は次第に力を失い、最終的には克服されるだろう。自覚すれば、虚栄心がどういうものかを深く認識でき、それがどのように自分に顕れ、何によって増長されるのかを知ることができる。

幸せになるためには周囲の注目の的となるのが重要で、皆から褒めたたえられたりちやほやされて、喜びや贈り物や注目を山ほど貰うのがいい、と信じることで、虚栄心は増大する。
虚栄心は、幸せになるためには、物であろうと人であろうと身の周りの全てのものを所有する必要がある、と自分にも他人にも思い込ませるように現実を変えてしまう傾向となって顕れる。
虚栄心は、進路にある全てのものを吸い込む掃除機みたいに自分に溜め込みはするが、持っているものを何一つ評価しない。それは、見たところ世界一素晴らしくそれなしには幸せになれそうにないおもちゃを買ってくれと、地団太踏んで親に要求する子どものようだ。だが、おもちゃを手に入れると、何分とも遊ばず、直ぐに飽きて壊してしまう。
したがい、感情を呼び覚ます努力をせず、自分の気まぐれを満たすことばかりに夢中でいる限り、彼らは常に不満・空虚・不幸であり、他者から愛されてもそれが分からず評価もできない。
自分自身の努力や意志によって成し遂げることでなければ、それを本当に理解して評価することも楽しむこともできないが、虚栄心の強い者は、何に対してもほとんど努力をせず、他人が自分のためにしてくれるのを望む。
目的を持った場合には、外見的・物質的・表面的なものが多く、魂の内面的目標であることは滅多にない。

*理解を通して虚栄心を克服するにはどうするべきかを、短くまとめていただけますか。
いいだろう。虚栄心の強い者が欠点を克服する第一歩は、幸福は外部にあるのではなく、内面次第なのだと理解することだ。

我々全員が学ぶべき大切な教訓は、 真の幸福とは、他者が自分を愛すかどうかで決まるのではなく、自分が愛せるかどうかによるということだ。だから幸せになりたければ、他者が自分を愛してくれるのをがむしゃらに求めるのを止め、自分自身の感情を目覚めさせるようにしなさい。
(中略)
他者の賞賛や慈しみ、成功や信任を得ることでは、絶対に幸せになれない。
自分の人生に不満足で、孤独感や虚無感があるとしたら、不幸の原因を外部に探さないことだ。原因は外にあるのではなく、自分の中にあるからだ。
利己主義は脇に置いて愛しなさい。内面の虚無感を満たす唯一の方法は、無条件に愛すことなのだ。
(中略)
我々は主体性に欠け、愛が外からやって来るのを待っているのだ。外部からの愛が、あたかも魔法のように我々に達して幸せにしてくれて、秘薬のごとく何をする必要もないと思い込んでいるのだ。
しかし、必要なものを全て受け取っても、受身であり続けて我欲を克服しようと努めないのであれば、内面の全てを与えて君を愛してくれる存在が現れても、「まだ足りないよ。僕はまだ幸せではない。もっと愛してもらう必要があるよ」と言うだろう。そして、絶対に内面の虚しさを満たすことができないので、もっともっと、と要求するのだ。
くれたものは決して評価せずに、貰っていないものばかりにこだわる。人生のどんなに些細な障害であろうと、文句の口実となる。朝起きた時に、曇り空なら寒いとぼやき、天気が良ければ暑いと愚痴るのだ。
これは、幸福の求め方が間違っているからなのだ。自他に対して能動的に呼び起こす愛のみが、空虚な感覚を満たすことができるのだ。それゆえ、幸せになるためには、愛を受け取るだけではなく、愛を与える必要があるのだ。
(中略)
*根本的にどのように進歩すれば、虚栄心の段階を克服したと言えるのですか。
虚栄と自尊とを区別する主な進歩は、魂の愛を目覚めさせることである。
虚栄心の強い者は一方的に愛を受け取るだけだが、自尊心の強い者は、もう愛の送り手となれる魂である。それは、かなりしっかりと主体的に、本当に愛すことができる能力を獲得したことを意味する。

*魂はどうやって、自分の火を起こす方法を学ぶのですか。
自分自身の体験と、進化した魂たちを手本にして学ぶのだ。
虚栄心の強い魂は、通常、身近に転生した愛の送り手となるもっと進化した魂によって、手ほどきを受ける。それは自分の伴侶であったり、父親や母親、息子や娘、兄弟や姉妹などの家族である。多くの場合、他者が自分に尽くすことに慣れ切っている進化の遅い魂は、その時点では与えられていることを自覚できずに、もっともっとと要求し...遂には失う羽目になる。

その時になって失われた愛を懐かしみ、かつての愛を再び味わいたいと願い、愛されていたのに評価できなかったことを自覚し認識し始める。この欲求によって、自分をそれほど愛してくれた人たちに対する最初の感情が芽生え、それが以後の転生に持ち越される。つまり、人が愛を与えられるようになるには、最初に愛を受け取れなければならない。
要求ばかりしていた魂は以後の転生では、自分より進化の劣った者と身近に共存する体験を課され、過去に他者に求めたのと同じように要求されるであろう。こうして、他者の利己的な行為の中に自分のエゴを認識し、自分自身と向き合うことになるのだ。
この学習は、愛の受け手または送り手という、主な役割を転生ごとに交代しながら、数え切れないほど継続することもある。送り手として与えれば与えるほど、受け手として受け取れるようになる。
愛の道を歩むのか、それとも我欲の道を続行するかは、魂の意志次第なのだ。


(一部引用終了)

良い連休をお過ごしくださいませ♪


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