【自我の本丸】
先日「聴く&話す瞑想会」に参加して
みなさんの「ドラマチックなストーリー」を聴いていたら・・・
突然自分の中に、四六時中
自己紹介して歩いている者がいることに気づいた
(聴く&話す瞑想会では普段は自覚できない
自分自身の姿に気づくとても貴重な機会となり
本当にありがたかったな~
静寂な瞑想のイメージとはかけ離れたユニークな場に
参加して下さった皆様、ガイドして下さった奥富さんには
感謝の気持ちで一杯です!ありがとうね~
また企画して下さるみたいなのでちょっと待っててね)
で、最近のその者の自己紹介は
「私は悟ってない・・・
でもあの人は悟ってると言う?
なぜ?なぜなんだ?」とこんな調子・・・
「え?こいつ何者?」
「どこにもいない自分に対して悟ってない!ってラベル貼ってる~」
あまりの滑稽さに吹き出しそうになった・・・
え?まさか「悟っていない自分」を作り出していたのは
自分自身だったとは・・・びっくり、びっくり
その後タイミング良く、九八さんのブログに繋がり九八の日記
九八さんのお話(声聞)も聞かせていただいた
これも宇宙の粋な計らいだね
それにしてもこの四六時中自己紹介して歩いている者が
自我の本丸だったとはね・・・
(以下九八さんの「私とは、、、、」という記事から一部引用)
「私は、未熟で、ダメな人間です」と言うのは、、、、
即今、触れている「事実」とは、まったく関係の無い事ですよ。
その様に「説明・解説」して、知っているモノが居る訳ですよ。
それが「私・自我」に成っている訳です。
その「説明・解釈」する、知っているモノが、無くなれば、、、、
どこにも「私」と言う「固定観念」が、出て来ない訳ですよ。
何時如何なる「即今の在り様」にも「自・他」が、生じない訳です。
認識した事で「考え・思考・分別」が、生じて、、、、
それが「事実」だと言う錯覚に、陥る訳です。
「私」と言い「自・他」「対象」が、最大の錯覚で「苦悩の源」な訳です。
この「夢」から醒めて「事実・実相」に目醒めるお話をしています。」
(中略)
この「事実・実相」に、目覚めて来ると、
今のまま、何も変える事無く、そのままで、
問題も、不満も、不足も滅して、、、、
総てが、穏やかに、好転して行く訳です。
(以下引用終了)
◆本日仕事中、どうにも義歯が合わないという
おばあちゃんがいて、普段なら自分の
無力感にがっかりして・・・
「だっておばあちゃんの顎の堤は
すり鉢みたいになってるんだから
どうしょもないじゃん・・・とか
出来ることはやって手は尽くしたんだよ・・・とか
この世は諸行無常なんだから顎の形も
日々変わって行くんだぜベイビー分かってくれよ~とか」
まあ、自己弁護と釈明に忙しくしていたんだけど
今日はその説明者に「もうええやん!」って
ツッコミを入れてただただ無心に
入れ歯の調整をしてみたんだ・・・
そうしたら、そこにいてくれる
おばあちゃんの姿が観音様みたいでありがたくって
ありがたくって、胸が一杯になったよ
本日も記事をお読みいただきありがとうございました✨
皆様良い週末をお過ごしくださいませ