【観念の世界から愛を込めて💓】
最近はただただ心をオープンにして
向こうからやってきた宇宙からのギフトに気づき
受け取るようにして生きている。。。
そうすると・・・
自然に素敵な方々とご縁して
進むべき方向が直感的に分かったり💓
思いがけず天然のプラネタリウム鑑賞にでかけたり
思いがけず旦那のドライブについて行って春の山を満喫したり
訪問中ばっちゃんから「このニセ医者め!」と言われたり・・・(笑)
予期せぬ出来事は驚きに満ちていてありがたい
そして全ての事が起きては蜃気楼のように消えていく・・・
いままでは自分が行為者で計画・実行。。。
あくせく頑張って来たけれど・・・
今はただ目の前にやって来るその
流れにリラックスして乗っかるだけ・・・
随分と肩の荷が降りて
知らないうちに肩が凝らなくなった・・・
起きてくるすべての出来事は
文字通りとどまって有り続けることが難しくって
ありがた~い
私の中心がいなければその人生の活動の
流れを妨げる者はいない・・・
それでも今思い返してみれば
私の中心がいたと思っていたその頃でさえも
出来事はただただ起こり滅していってた
(九八さんに教えていただいた生滅の法則)
だったら、その流れに抗おうとするよりも
身を任せたほうがどれだけ楽か
考えを手放す瞑想で自分だと思っていた者の
過去の活動の軌跡は跡形もなく消え去っていたことを
思い知って過去の自分の中心が溶かされていった・・・
瞑想は過去の自分の中心を芯まで燃やしてくれた!
(☆エゴの実況中継;私には集中して過去の自分を溶かす必要が
あったから考えを手放す瞑想が宇宙から贈られたと思ってる)
でも、一人静かに瞑想するだけでは、娑婆の世界にいる
現在の自分の中心を溶かすことは叶わないかもしれない
瞑想中は自分の中心が溶けているけど、世間に帰ると、
そうは行かぬという話は「長年の瞑想者」からもよく聞く話だ・・・
それに関してはOSHOもこう言っているじゃないか!
(以下OSHOのサイト 逃げても無駄だより一部引用)
◆独りきりでいたら、怒りも起こってこない。
怒りが消えてしまったのではない。
たんに怒るための状況がそこにないだけだ。
あなたは怒りでいっぱいなのだが、そこにあなたを侮辱したり
傷つけたりする人はいない。ただその機会がないだけだ。
世間に戻ってきたら、たとえヒマラヤに50年間暮らしていたとしても、
世間に戻ってくれば、前とちっとも変わりなく、
あなたはなにかのことに腹を立てるだろう。
前よりももっと腹を立てるかもしれない。なぜなら、
50年間も怒りをため込み、毒をため込んできたからだ。
そのころには世間に帰ってくるのが恐ろしくなっている。
(中略)
「実在(リアリティ)をはっきりと見るために、
迷妄(マーヤ)を避けないで、それを生きなさい。
マーヤを生きれば、あなたは実在(リアリティ)を知るようになるだろう。
なぜなら、マーヤもまた隠れた実在だからだ。
表面的な事物もまた実在している。
繰り返そう、表面的な事物もまた実在している。それを避けてはいけない。
そうでないと、実在もまた避けることになってしまう。
そのなかに深く入ってゆきなさい。それを生き、それを楽しみ、
それに浸透しなさい。
私(OSHO)は隔絶し、孤立することに反対だ。
実際には、あなたはエゴを隔絶させるのではなくて、
それを溶かし去らなければならない。あなたは独立して、
世界から切り離されて、小島になるべきではない。
大陸の一部に、それとひとつになるべきだ。
孤立していて、どうして実在の一部になれるだろうか?
(一部引用終了)
やはり「生滅の法則」を実生活で実感し、体感してこそ
本当の意味で自分の中心が溶かされ
ありのままの世界を観ることが出来るようになる
日々出会う人、出来事のすべては先生で
秘密裏に素晴らしい気づきを与えてくれる!
本当にほんとうにありがたや~
「目に映るすべてのことはメッセージ」
あまりにもマントラ代わりに歌いすぎたら
息子まで口ずさんでいて笑った・・・
PS:
頭の中の実況中継する者に気づいてからは
ブログの記事を書くのも憚られていたけれど・・・
瞑想のガイドさんに、「自分が観念の世界にいる事を
自覚してさえいれば、映画を楽しむようにして
物語の中の話をしても大丈夫ですよ」
そんなありがたいメッセージを頂いて「そっか!」
自覚を持って認識前の「実相・真実」の世界と
認識後の「観念の世界」のチャンネルを切り替えれば
良いのか~と思えたら、またこうして
記事を書くことを自分に許せた~
ということで今日も元気に私の観念の世界観から
愛を込めて記事をお届けしました~(笑)