お早うございます♪
あの世の仕組みをくわしく解説してくれている良書
「死後の世界」http://books.x0.com/jsmward1/contents.shtml
に出会いました。真夏の夜にはぴったりです。第1幕は普通の人の死後の体験談。生前あまり、物質主義に傾きすぎて、目に見えない世界の事を大切にしていないと、死後の世界の学校で苦労するみたいですよ(笑)物欲、食欲、性欲が強すぎると、肉体を伴っていない死後の精神世界に行っても中々それを手放すのが難しそうです。
死後の世界には、金銀財宝は勿論持っていけないし、食欲や性欲などの肉体的な快楽を満たす事は出来ません。それでも、3次元の世界にいる時には、そうした欲を満たすだけ満たして、この世界を楽しむという考え方も有りかもしれません。でも、そんな楽しみはほんの一時的な快楽。自分は一体何の為に今この地球上に存在しているのか?何を学びに来ているのか?そして何を為したら良いのか?そんな事を考えさせられました。
そして、第2幕は極悪非道の悪人の死後の世界での体験談。阿鼻叫喚さながらの地獄の様子が淡々と語られています。そして、地獄にも病院があるそうで、このブログは一応医療をテーマにしていますので、今日は地獄の病院の模様をお伝えします。
まあ、この死後の体験談の真偽の程はともかくとして、もし死後の世界に行っても学びが続くのであれば、生きているうちから準備しておくほうが、良いかもしれませんね。ただこれも、子供の頃に夏休みの宿題を先に片付けてから遊んだ人、先に遊んでから後で宿題を片付けた人がいるように、人それぞれ考え方が違うので、どちらが正解かなんていうものはなさそうですが・・。
でも、個人的には宿題は先に済ませたい質なので、生きているうちから、精神世界を少しでも垣間見てみたいと考えています。
それで今までは、ただただ、そうしたいと何の努力もしていなかった自分に反省し、中断していたサンゲージングを再開しました。そして、今度こそ穀物中毒を克服して、完全ローフード生活を目指し、あわよくば長南 年恵さんの様に難病の人を助ける聖水を空中から取り出せたら、医院で病人に無料で配りたいものですね。(笑)と、まあ真夏の夜に読んだ怪談話に感化され話が随分飛躍しました。でもこうした話を怪談話と片付けているうちは、まだまだ物質世界に浸っている証拠かもしれません。
そしてこの本編の中で、印象的だったのは、この部分。
「吾輩が当時痛感したことの一つは、地獄の住民が甚しく共同性、団結性に欠けていることであった。しばしの間は仲よくしていても、それが決して永続しない。例えば吾輩の逃げ出した際などでも、若し医者達が、どこまでも一致して吾輩を捕えにかかったなら到底逃げ了せる望はないのである。ところが一たん逃げられると、そんなことはすっかり忘れて了って、やがて相互の間に喧嘩を始める。現に吾輩が病院に居る間にも一人の医者がその同僚からつかまえられて解剖台に載せられていた。
ある一つの目的に向って義勇的に協同一致する観念の絶無なこと──これはたしかに地獄の特色の一つである。」
ある目的に向かって、義勇的に協同一致観念の絶無なことが、地獄の特徴だという事。地上においても、私も含めてこんな状況になりつつあるのが、今の世の中。なんとか、そうならない様に、私たちも心してかかる必要が有りますよね。と、いう訳で、次の世代の子供達に負の財産を引き継がない努力を大人たちは少しでもしたいものです。
それでは今晩の暇つぶしには是非この怪談を!
第2幕より「地獄の図書館、病院 上・中・下」より一部抜粋
http://books.x0.com/jsmward1/text_2/text120a.shtml
『一たい地獄に持って来る書物とそうでない書物との区別は何できめるのです?』と吾輩は一冊の医書を抽き出して質問した。『例えばこの生体解剖書ですが、こりゃフランスで出版されたものです。この種の書物は全部地獄へまわされるのですか?』
『イヤそうは限らないよ。』と老人が答えた。『地獄に来るのと来ないのとは、その書物の目的並にそれに伴う影響によりて決るのじゃよ。』
は鹿爪らしい顔をして尚お諒々と説明をつづけた。──
『一体著者の目的が真に社会同胞の安寧幸福を増進せんが為めであるなら縦令それが生体解剖の書物であろうがそれは決して地獄には来ない。しかし多くの学者、就中大陸の学者が生物を解剖するのは、解剖の苦痛がいかなる作用を生体に及ぼすかをしらべて見たいという極めて不健全な好奇心から出発するのが多い。これは社会同胞に対して何等の効益もなく、又その種の書物の出版は徒らに他人に同様の好奇心を促進させることになる。そんなものが地獄の所属となるべきは言うまでもあるまい。それから又、ある一部の科学者のやる実験じゃが、よしやその動機は善良であるにしても、その執るところの手段方法が愚劣を極むる場合が少くない。そんなものを発表する書物も矢張り地獄の厄介になる。他人に迷惑をかけるだけのシロモノじゃからナ……。』
『そう致しますと、大概の生体解剖学者連が死んでから落ちつく場所はこの近傍ですナ?』
『随分多数の生体解剖学者がこちらへ来て居るよ。──が、お前さんが想像するほどそんなに沢山でもない。生体解剖学者などというものは大ていは冷血動物に近いが、その中の可なり多数は純然たる学究肌で、少々眼のつけどころが錯っているという位のところである。で、彼等の欠点はしばらく幽界で修行している中に大抵除かれるものじゃ。お前さんも知っとるじゃろうが、生前彼等の手にかかって殺された動物は幽界でその復讐をやる。そうすると大概の学者は、これでは可かんと初めて眼がさめて前非を後悔する………。』
『何ぞ罪障消滅の方法でもありますか?』
『そりャあるよ………。アノ動物虐待防止会などという会がちょいちょい人間界に組織されたり何かするのはつまりその結果じゃよ。が、全体あの学問の為めにという奴が随分くせもので、どれ丈あの為めに地獄が繁昌しているか知れたものじゃないナ………。』
『地獄では科学者達を何んな塩梅に取扱って居ます?』
『そりャいろいろじゃよ。解剖学者などはこの図書館から遠くもない一つの病院に勤務している……。』
『エッ病院……。』
と吾輩びッくりして叫んだ。
『そうじゃよ。──尤も地獄の病院という奴は患者の治療が目的で経営されているのではない。例の神聖な学問の研究が目的でナ。イヒヒヒヒ。お前さんも一つ自分で出掛けて行って見物して見るがいい。若し自分の躯を解剖されるのがさほど怖くないなら………。イヒヒヒ。』
会話はこんなところで一と先ず切りあげて置いてわれわれは図書館の第二部に進み入った。ここはいろいろの思想が悉く絵画の形で表現されているところで、その内容はもちろん憎悪、残忍、その他に関係しているものばかりであった。例えば人体に苦痛を与える為めの精巧無比の器械類但しは霊魂や幽体の攻道具の図解等で、よくも斯んなうまい工夫ができたものだとほとほと感心させられるようなのがあった。
が、一ばんひどかったのは第三部で、拷問にかけらるる人物の苦悩の順序などが、事こまやかに、例の活動写真式に眼前に展開されて行くのであった。
老人が斯んなことを吾輩に説明した。──
『他を苦しめようと思えば、どんな方法を用ゆればどんな苦痛を起すものかを学理的に知って置くことが必要じゃ。苦痛の原理を知らないでは、こちらに充分の意思が起らんから従って先方に充分の効果を与え得ない。ここで査べて置けば先ずその心配はなくなる………。』
吾輩が見物した多くの絵画の中に人間の生体解剖の活動写真があったが、いかに何んでもそいつは余りに気味がわるくて、とても爰で説明する気分にはなれない。
これ等を見物して居る中にさすがの吾輩もだんだん胸持が悪くなって来た。吾輩も随分無情冷酷な男で、時々ひどい復讐手段も講じたものだが、しかし苦痛の為めの苦痛を与えて快とするほどの残忍性はなかった。矢鱈に他を苦しめて嬉しがる──。そんなイタズラは吾輩にも到底為し得ない……。
しばらくして吾輩は図書館を後に、ガランとした一つの荒野を横切ると、そこには果していわゆる地獄の病院が建っていた。
(転載終了)
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