こんにちは
先日四国からわざわざいらして下さった患者さんに、心の風Healing by BeingのHPにも載っている「食の風景」の小冊子をいただきました。わざわざ遠方からお越しいただいた上に、素敵な情報までくださって本当にありがとうございます♪
さて、この「食の風景」小冊子の情報は調べてみたら無料でHPで読めるようになっていましたので、ご紹介します。この「食の風景」をお読みいただけばきっと、人間本来の食性は何か?についての思慮を得ることが出来ると思います。他者から植えつけられた思い込みを捨てこの答えを探すために、体や心の声に耳を傾けてみませんか?最初は小さな声かもしれません。でも、続けていくうちにきっと本物の食べ物について私達も思い出すことが出来ると思います。体や心が求めている本物の食べ物は私達の体を傷つけることもなければ、負担をかけることも有りません。だから食べたあとに、眠くなったり、胃もたれがしたり、血糖値が急に上がったりすることもなく、その食べ物自身がもつ生きた酵素が私達の消化を助けてくれます。生命力溢れる生の野菜や果物こそ私達の本来の食べ物です。そういう食べ物を食べ続けていくと、心も身体も浄化され健康になり、本来の自分に戻ることが出来るでしょう。
(以下HPより私の好みで思い込みを捨てる為に役立つムーセンテンスを抜粋)
「食の風景」
http://www1.odn.ne.jp/sharla-mu/epshoku13.htm
◇人間が穀物や肉を食べ始めたのは、ほんの数千年前。そのずっと昔(数百万年前)から人間が食べ続けてきたのは、自然の中に生る果物(果実)。私たちの祖先は皆、果物を食べて健康を維持し、子孫を残してきている食の原点の風景から離れ過ぎてしまっている現代。それに気づけば、未来に健康を繋ぐために自ずと意識は変わってくる。次に続く人たちのためにも、生で食べられる果物や野菜、精白されてない砂糖や穀物をとる食の風景を習慣化させる必要がある。
◇a.体の70%程が水分であることを考えれば、代謝活動において大切なのは、水分を多く含む新鮮な食物であることが分かる。常に分解・再生を行う細胞たちの仕事を考えれば、そのためのエネルギー源(生命力、食物の中の水分)を供給し続けることの大切さが分かる。人間の生命活動において、新鮮な植物性食品(果物、生野菜、精白されてない穀物が何より重要であることをあらためて考え、それを生活に重ねてみる
◇b.身体の病気の多くは、老廃物(毒素)が外に出ないまま体内で滞っているために生じる。それは、排水口にゴミが溜まって流れなくなり、臭いが出ている状態と同じ。その臭いの原因となる物質が長く体内に留まれば、当然細胞への負担は増し、いろいろな病気をつくり出すことになる。腎臓や肝臓へのダメージ、脳の活動低下、胃腸や腰部の疲労、体の冷え、肌荒れそれらの原因を放っておかず、新たな原因で心身を健全な状態へと変化させるためにも、果物や生野菜の水分は欠かせない。水を流し、キレイにしなければ、排水口も台所も汚れるだけ。体の中に新鮮な水分を取り込むことは、生きる上での責任でもある
◇c.植物の水分は、地球の生命そのもの。地中から吸い取った水を、それぞれに個性あるプロセスを経て、生命の水に変える。もちろんその個性は、大きなひとつを支える、全体の個。それを取り込む人間も、全体と繋がり、地球への感謝と、共に生きる生命たちへの愛しさを大きくする地中(地球)から吸い取った生命力で、植物は動物を生かし、受け継いだその生命力で、動物は地球を生かす。植物は再び、地中の水分を生命力に変える。人間も、地球に生き、地球を生かす、同じ仲間。
◇究極の健康法など存在しない。ただ自然体の自分が、自然なものを自然に食べればいいだけのこと。健康的な本来の普通を生きる人には、不健康な食物も、不健康な調理法も近寄れない。だって、健康的な暮らしと食物は、人間にとって普通で自然なことだから
◇.無農薬の食材を使っていても、生で食べられる物まで加熱調理して食べたり、‘こうあるべき’姿にこだわって食事をしていたりすれば、それは、自然食とは名ばかりの不自然食。体の声を抑え、頭だけで食と関われば、体内のエネルギーは広がりと伝わり(繋がり)を忘れ、内方向ばかりを向いて、生命力もしぼんでいく(※玄米菜食(=玄米+温野菜)の世界には、みんなの健康に繋がる余裕と安心が無く、個人の健康を求めるこだわりととらわれだけがある。それゆえ、女性も男性も本能(性、その人らしさ)を失い、不自然な心で、流れない(生命の無い)思考世界をつくり上げていく)
◇病気の原因となる食品(食物)を平気で提供する人たちは、人を不健康にしてお金を得るという、人間としてあり得ないことができる人。彼らが守り続けていることは、自社製品(自分が作った物)を食べないこと。(名(顔)の知れた人がその販売に笑顔で協力する、心寒い風景。無責任の極み
◇「健康」という文字を掲げていながら、置いてある物は、錠剤(タブレット)や粉末になったビタミン、ミネラル類、スナック菓子のような栄養食であったりする。細胞の意思を無視して、単に思考の満足を演出しているだけの物もある。彼らは、生命を生かす生きた知識を持たない。工場で大量生産された物を、‘体に良い’と勧める理由は何処に? 生命力に満ちた自然界の生きた食物たちが笑っている。(数千円もする、良さそうに作られた酵素系食品より、100円ほどで買える生きた食物(バナナ、リンゴ、アボカドの方がずっといい。人間は生きているのだから
◇「生の食べ物(生野菜、果物は体を冷やす」という言葉ほど、生命に無責任なものはない。それが本当であれば、人間以外の動物がこの地上に存在することは出来なくなってしまう。ちょっと考えれば(わざわざ考えなくても)不自然であることがすぐ分かるその言葉を平気で受け入れてしまうから、健康をテーマに余計な時間を費やすことになる。
(一部抜粋終了)
私たちに活力を与えてくれるのは、死んだ食べ物ではなく、生きた食べ物です。生の野菜や果物は体を冷やすなんていうのも、健康から遠ざかる考え方なんじゃないかと思います。だって、もしそうなら殆どの野生動物はみんな冷え性で病気になっちゃいますものね。それに加熱した玄米菜食は一見健康に良さそうに見えますが、そればかり食べていても健康になれるものではないと思います。この際不健康な食べ方、考え方を断捨離してみませんか?
複雑な工程の調理法
過剰な豪華さを伴った盛りつけ法
酵素が死んでしまうような調理法
生野菜や果物は体を冷やすという考え方
不健康を招く調理器具
健康にいいからと手にしたサプリメント
飲酒喫煙などの悪習慣
食肉文化
精製された食べ物
添加物
加工品
遺伝子組み換え食品
・・・etc
私たちが手放すべきものは思いのほか沢山あることに気づきませんか?このムーセンテンスを読むと効率よく食べ方の「断捨離」が出来るかもしれません。
(以下あとがきより引用)
◇「食の風景」は、2009年10月から2010年3月までの6ヶ月間、食について書き続けたムーセンテンス(無有日記)。その内容を吸収しながら実践してきている人たちは、その間、身体の変化の他に、感情の調整(浮き上がり)や様々な心の状態を経験し、それまでとは大きく違う自分に出会う。< このムーセンテンスを活用して食の再スタートを切る際、それまでの心身の状態はひとりひとり異なるわけだから、ムリせず、力を入れず、自分のペースで気楽に進めて欲しい。どんな時でも、「こうでなければ…」という思考レベルの判断は要らず、ただなんとなく心が望み、ふと細胞が喜んでくれる食との関わりを少しずつ普通にしていくだけでいい。時には休憩も脱線も。ある種の反動による感情食も。
そんな中でふと気づけば、細胞が喜ぶ生命食の基本が馴染んできて、自ら調整する力も付いてくる。(これまでずっと細胞(体)ではなく、頭(舌)で食べていた人は、その分時間がかかることも…)そして、継続してムーセンテンスに触れ、いつのまにか新鮮な食物と自分との空間が元気で楽しくなってくると、面白いくらいいろいろなことが望ましい姿へと変化していく食べることは楽しい。食べて健康になることはもっと楽しい。そして、楽しいから食べる。健康だから食べる…と、その逆の感覚も食生活に加わった時、「食の風景」のエネルギーはぐんぐん流れ出す。この出会いを大いに楽しみ、望ましい未来に繋がる原因をさりげなく真剣に生きて欲しい。今は、その時だから・・。
2010年春by Mu