こんんちは♪
新学期が始まてからの1週間が終わりましたね。
我が家には今年高校受験を控えた子供がおります。現在の高校入試制度は昔ながらの、学力それも暗記力重視の味けないもので優劣をつけ、受験生をふるいにかける旧態依然としたものです。こういう所は私の頃と殆ど変わっていませんね・・。勿論、県の公立高校の入試制度が前期、後期に分かれたとか、面接が導入されたとかいった枝葉末節な部分は変化を遂げ、見かけ上は大きく変わったように見えます。でも子供たちを受験ゲームの競争に巻き込む根幹部分は何も変わっていないように私の目には映ります。
常々こんな受験戦争は所詮ゲーム。こんなものに巻き込まれずに、自分の直感に従い道を見つけて欲しいと願っている母では有ります。だから、模擬テストでどんな成績を取ろうとあまり気にかけることも無いだろうと、正直そう思っていました。しかしながら自分の事を買いかぶっていました。だって、最近受け始めた模擬試験の結果と偏差値を見て母は「どうしてこんな成績なの?もうちょっと頑張れないのか?どうにかしなさいよ~!こんなに要領悪かったの・・。」と、咄嗟に思ってしまいました。どうやら、私自身も受験ゲームから完全に抜けきることができていないようでした。
それでも教育の現場にはびこるこんな競争社会の仕組みは、あまり感心できるものではないという思いも本心。それで子供には、「貴方の人生、この結果を受けてどうするかは自分で考えな~。」等と、非常に無責任な発言をしました。恐らく子供としてもこの母のどっちつかずの発言にどんな風に解釈していいか迷いが生じたかもしれません。
しかし、この事で自分が手放したと思っていた執着が実に明らかになりました。よく考えれば、自分自身の人生では結構成績にはこだわってきました。でも、世の中の仕組みを知るにつれ、「学校に教えられた事ってそんなに事実でもないし人の為になるどころかむしろ害(フッ素が高濃度だと毒だけど、低濃度だと歯に良いなんていうのは代表的な例ですよね。なんてったって、歯磨き粉に入っているフッ化ナトリウムは軍事目的にも使われるくらいですから・・。)になっていることってあるんだ。」と気づいてからは、そんな役に立たない知識を暗記するのは時間の無駄なんじゃ?と、思っていました。だから、てっきりとうの昔にこんな執着は手放せたと勘違いしていました。完全に自分の事を買いかぶっていました。
まだまだ、本当の意味で「良い成績を取ることへの執着」を手放せていませんね。だけど幾らこうした感情を感じないようにと封印しても自己欺瞞する事は出来ません。「どうしたものか?」と、考えていた所、思わぬ出来事でその感情を手放すことが出来ました。「聞きたいでしょ?あ、誰も聞いてないですね(笑)」
それは、ある朝の登校時の一コマで起こりました。
その日の朝は、息子の夏休みに家で育てていた学習用のミニトマトの植木鉢を持って、学校まで一緒に送っていく約束をしていました。(防災訓練の時に持っていくのを忘れてしまったので・・)「忘れ物はない?鍵閉めて!」と長女にも声をかけ、次女と長男と一足先に家を出ました。中々子供達と朝こうして歩くのも楽しいな♪なんて、のんきに散歩を楽しんでいた道中、突然次女が「あ!水筒忘れた~、持ってきてよ!」と、声を荒げました。「ちょっと先に行くとコンビニがある、今日はそこでぺットボトルを買えば良いでしょう。」と、私。「ペットボトルは学校に持って行っちゃいけないから、持ってきて~」と、引き下がらない次女。ほとほと、困り果てていると、そこへ、さっそうと水筒を持った手を高く掲げてにこやかに長女が向こうから歩いてくるではないですか!
その時私の中でこんな声がしました。「忘れ物を黙って届けてくれる優しさって、テストで良い成績を取るよりもずっと大事なことじゃない?」そうなんです。それは、子供の成績に関する執着が手放せた瞬間でした!この出来事は2つ忘れ物をした上で初めて起こり得た出来事です。世の中無駄な事ってないんですね。全ては必然的に起こっている!という、更なる確信も得たのでした。
なんでもない日常的な出来事ですが、なんて大きな気づきなんでしょうか!子供の頃から何十年も背負っていた呪縛が手放せたんですから!頭だけの理解にとどまっていた事柄が、魂レベルまでの理解に落とし込めた瞬間でした!!私ってちょっと大げさかな?(笑)でも、これも先日読んだ「聖なる予言」にあった、「人生の共時性に気づくことが如何に大切か」について意識していたからこそ得た気づきの様な気がします。これに気を良くして、今後は色んな感情を手放すことにするぞ~!
そして、この感情の断捨離が私のテーマになっている時に、またまた一つ偶然の一致が起こりました。患者さん(というか、著者ご本人♪)が「人付き合いの断捨離セラピー」というとても素敵な著書を持ってきて下さいました。まえがき漫画を見ると、とてもドキッとする様な事が書いて有りました。なんと、著者のあいかわももこさんは、家族を断捨ろうと思ったことがあったというのです!その当時あいかわさんは、穴のあけられない連載の仕事を抱え、ご家庭の事を顧みる余裕がなかったそうです。しかしながら、とても優しいご主人がお掃除を手伝ってくれたり、息子さんはとても聞き分けがよくご家族は文句も一切言わずあいかわさんに協力してくださったそうです。
しかしながら、あいかわさんは、仕事優先のご自身に罪悪感を感じ、
「こんな女と一緒にいて本当にみんな幸せ?」
「私なんかじゃなくて、もっと家庭的で料理上手で子供好きで社交的なもっと素晴らしいお母さんを見つけて」
等と思いつめ、「家族を断捨る」というよりは、家族の前から「自分を断捨ろう」と、決意し、ある日その思いをご主人に打ち明けたそうです。
ジャじゃん!その後のあいかわももこさんの運命はいかに・・続きは是非「人付き合いの断捨離セラピー」で読んでいただきたいと思いますが、私もまた実はちょっと前まで「家族の前から自分を断捨ろう」と、考えていたので、このあいかわさんの名著には大いに共感し、自分自身の問題解決に向け、大きな気づきを得ることが出来たのでした。これも偶然の一致ですね。最近やはり共時性が高まってきている気がします。これっていい兆候ですよね。それとも今まで見過ごしてただけでかな?
それにしても断捨離ってただの片付けにとどまらず、人間関係まで改善できちゃうんですね。知らなかった・・。さ、早速明日は押入れの中を断捨るぞ~!
「人付き合いの断捨離セラピー」あいかわももこ著
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%81%A5%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%84%E3%81%AE%E6%96%AD%E6%8D%A8%E9%9B%A2%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%94%E3%83%BC-%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%82%82%E3%82%82%E3%81%93/dp/4413110501
あいかわさんは、「コスメのまほう」の著者です。
監修者のやましたひでこさんのあとがきです。
おわりに
断捨離とは、片付けではあるけれど、片付けにとどまらない。
断捨離とはモノを片付け、住まいを片付け、そして思考を片付け、気持ちを片付けていくこと。
モノとの関係を問い直し、自分自身との関係を問い直し、人との関係をも問い直していくこと。
そうして、住まいが整っていき、ゆとりのある気持ちを得て、人間関係までもが整っていく、
そんなプロセス。
それは、自分軸を取り戻し、自分肯定感を高め、自分自身を尊重していくプロセスでもありますね。
自分の軸を明確にしてこそ、人との距離が測れる。
自分を肯定してこそ、人が受容できる。
自分を尊重してこそ、人の尊重ができる。
ごきげんなわたしが考える、人との距離。
ごきげんなわたしが思う、人とのコミュニケーション。
ごきげんなわたしが感じる、人とのご縁。
断捨離とは、気づき。
モノに気づき、自分に気づき、人に気づくこと。
その気づきを、深める嬉しさ、広げる愉しみ、高める喜び。
そうですね、断捨離は、終わりのない螺旋階段のようなもの。
登れば登るほど、あらたな視界が展開していくのです。
やましたひでこ
それでは良い週末をお過ごしくださいませ!
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家族を断捨離?
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