こんにちは♪
友人(というよりは先生かな)に勧められて、ドクター・ジョン・F・ディマティーニ著の「正負の法則」という本を読みました。私は全然知らなかったのだけど、ディマティーニ・メソッドというのがあって、この方法は自己啓発の世界では結構有名みたいなので、ご存知の方も多いかもしれませんね。
それで、例によって忘備録代わりにこちらにメモしておきます♪
まずこの本によると、私たちは正しい人間でいるために存在しているのではなく、愛で満たされる為に存在しているそうです。そして、愛は支援と試練の2つの要素で成り立っていると言っています。誰かを支援すると、弱くて依存心の有る人間にしてしまう可能性があります。一方、誰かに試練を与えると、それによって、その人を強くて自立した人間にする可能性が有るそうです。
だから、私たちが人に対して思いやりのない仕打ちをしたと感じると自責の念にかられますが、それはバランスに気づいていないからで、実は私たちが辛くあたった人物は、宇宙の秩序によって、同じ時に他の誰かから思いやりを受けているそうです。つまり、私たちの思いやりのなさがその人の自立心を高め誰かの思いやりがその人の依存心を高めているのだそうです。
これは子育てなんかに当てはめると分かりやすいかもしれません。父親から試練を突きつけられ、一方母親からは支援を受ける。あるいは逆も。我が家の長男の場合、先月戸塚ヨットスクールの幼児合宿に初めて参加させてみたのですが、そこでの様子を見る限りにおいては、普段から試練が不足している事が明らかになりました。まあ、初参加にも関わらず、台風が近付き海が荒れていたので、頭から波を被り本当に怖い思いをしたようですが、そんな状況を差し引いても何度も参加している他の子供達とは明らかに様子が違いました。
TYSの方針によると、子供はヨットの訓練という試練を乗り越える事によって進歩する能力を身につける。小さい頃に乗り越えたその試練のハードルが高いほどその子は主体性を持った自立した人間になり、逆に試練が不足すると弱い人間になるということだそうです。戸塚校長によれば、最近は家庭や学校で試練を受ける機会が減っていて特に男の子が男になりきれず成長しているそうです。
という事でTYSの合宿に子供を参加させた事で、いままでどちらかというと子供に支援ばかりしていたな~と、親としての自分を省みる良い機会となりました。
さて本の内容に戻りますが、子供は支援の他にこうした試練(TYSでの訓練は試練としては日本屈指のものかもしれません。)も必要としている訳です。またこの本では、みなさんの人生においても賞賛と非難をバランスよく両方受けたときの事が有るのではないか?とも問いかけています。そして次の様に述べています。
「自然界は、バランスの取れた物以外は存在する事ができません。有名なロックスターや映画スターが自殺をしたり、麻薬におぼれたり、自滅行為に走ったりする事を不思議に思った事はありませんか?自殺傾向や自殺未遂は多くの場合、ほかの人々が自分を高く評価するのを無自覚に受け入れ、その結果として自分は無敵だと錯覚してしまった事に対する代償行為です。賞賛と非難は心のバランスを取ろうとするので、自分が実際よりも偉大な人間だと言う幻想を受け入れてしまった人は幻想とのずれを感じて自分を責めたり自滅行為に走ったりします。おかしいと思うかもしれませんが、沢山の賞賛やお世辞とのバランスを取るという意味で、批評家や週刊誌は実際、有名人が生き延びる為に役立っています。
苦痛を伴わない快楽、非難を伴わない賞賛、意地悪さを伴わない親切を追い求めることは、人が陥る幻想の中でも最大の幻想のひとつです。二面性のあるこの宇宙で、偏った幻でしかないものを期待すると、人が苦しみと呼ぶ物が生まれます。バランスを受け入れるとき、真実の愛があなたを取り巻きます。」
という事で、私たちはとかく、賞賛や支援ばかり追い求める傾向が有りますが、実はそれだけではバランスが取れず、この世に存在する事すら危ぶまれるというのは、私にとってはとても新鮮な考え方でした。そうして発想の転換が起こると、自分の周りで手厳しく評価し、批判してくれる人たちの顔が浮かんで、彼らに感謝の念さえ湧いてきました。
ディマティーニ・メソッドでは実際に、自分の最も嫌いな人を思い浮かべて、その人のその特性が自分の中にも有ると確認するワークをしたりするそうです。そうすると、誰かにイライラしなくなり、自分の中にも同じ特性がある事に気づいて、ものの見方のバランスを取り戻す事が出来る様になるそうです。う~ん、この賞賛と批判の考え方って、実に素晴らしくないですか?
それから、この本には少々ショッキングに聞こえるかもしれませんが、受け取ること無しに与える事は出来ないと言っています。つまり、私たちはみな与える者になるべきだという、広く信じられている観念は全くのナンセンスだそうです。以下本文から引用します。
「例えば誰かに借りを作って、何か月または何年も罪悪感や恐れを感じていたことは有りませんか?その感情があなたの心を乱して、意識を曇らせてしまったのは、公正な取引をしていないと感じたからです。人生の7つの領域ー精神性、知的活動、職業、お金、家族、人間関係、身体ーのいずれかで取引が成立していないと感じる時はいつも、あなたは「いま、ここ」にいられずに、恐れと罪悪感を持つようになります。そして公正な取引に戻ったと感じるまでは、自分の本当の姿を現すことが出来ません。
公正な取引は物質的要素に限定されません。心の問題でもあります。あなたが大きな遺産を受け取って、それに値するほどの事をしないと感じたら、バランスをもたらす力が働いて、あなたが正当な取り分だと感じるkン額までその遺産は減る可能性があります。浪費したり、投資で失敗したり、突然の病で必要になったり、自滅的な友人に使わされたり、差し迫った非常事態が起こったりするのです。
知覚のバランスを取り戻してそれが公正な取引だと感じるためには、自分が受け取ったものに、自分が値していたのだと理解する必要があります。それが分かった瞬間あなたのマインドはクリアーになり、「いま、ここ」に戻れます。自分でそれを獲得したのだと感じると、まったく違うやり方で、そのお金を扱えるようになるのです。これはとてもパワフルな原則です。なぜなら、私たちのものの見方がアンバランスになるたびに、そしてそこにつり合いが存在する事を見落とす度に重荷を背負う事になるからです。」
これは、お金と自分との関係性を作る上でとても重要な事ですね。多くの人は自分のしたことが本当はもっと報われても良いと感じたけれど、ふさわしい対価を要求せずにあとから過小評価されたと感じたことが有るのではないかと思います。表向きは良い顔をしても心の奥底では働きに見合った報酬を得られないと怒りを感じている状態です。その状態ではやはり意識は「いま、ここに」はいられないですよね。公正な取引、フェアトレードは何もカカオ農園やコーヒー農園だけの話じゃないのかもしれません。
それでも個人的には、お金の話はやっぱりまだまだ納得が行かない所は有ります。基本的にはお金っていうツールを使っている動物はこの地球上で唯一人間だけですし、そのお金のルールに従っているのは私達だけです。これは自然界全体から見ればバランスを欠いている様な気がしますし、バランスを欠いているこのシステムは永続的には存在していけないようにも思います。だって、本来は誰のものでもない地球の一部の土地や資源をお金を持った富める者が独り占めしようとするなんて、どう考えても可笑しいですよね。
ただそれでもどこかの国に出生届を出した以上その国のお金に基づいたルールにしたがつ必要があるし、実際にお金が無いと環境を守ることすらできないこの世の中ですから、ある程度妥協と割り切りは必要なのでしょうが・・。なんだか最後は脱線してしまいました。(笑)
あ、もうこんな時間夕飯の後片付けしなくっちゃ。
皆様も良い夕べをお過ごしくださいませ!
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正負の法則
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