液体食生活50日❤️
不食のパスポートって何?
↑近所の神社❤️神の掲示降りてくると私の中で評判になっています!
昨日の瞑想で突然「今!」という潜在意識からのメッセージが降りてきました。たった一言だったのだけど、「あ〜そうだ!時間は幻想だ。本来の私たちは肉体がない存在で、時間、空間を超えてつながる事が出来る」という感覚が言葉を超えて伝わってきました。
そして自分の内側にそうした繋がりを繰り返し発見する事で、内なる愛のエネルギーにしっかり繋がれる様になり、愛と栄養の自給自足が可能になって来る。そう思った途端、身体中にエネルギーを強く感じとても満たされ空腹感がなくなりました。
内に流れる愛は、自分の外の出来事には作用されないのでとても安定した愛です。これについては、先日の記事でも少し書きましたが、常に死と隣り合わせのアウシュビッツ強制収容所での生活を描いたヴィクトール・フランクルの手記「夜と霧」がとても参考になります。
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ある時フランクルは、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けない人々がいる事に気がつきます。
「そうした人々には、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人々よりも収容所生活によく耐えたという逆説はここからしか説明できない。」
そしてフランクル自身の豊かな内面へと立ち戻った、個人的な体験へと続きます。それは収容所から暴行を受け銃床で追い立てられながら、「工事現場」と呼ばれる場所に向かう途中での体験です。過酷な道を進みながら、隣を歩いていた仲間が、ふいにこうつぶやきます。「ねえ、君、女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね・・・・!」それを聞いて、フランクルは彼の妻の姿をまざまざと見ます。
朝焼けを見ている今この瞬間、彼の心は妻の面影で占められ、妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えました。妻のいきいきとした面影は、彼をみつめ励ましました。彼にとっては妻がそこにいようがいまいが、生きていようが死んでいようがそんな事はもはやどうでもよく、「その微笑みはたった今登ってきた太陽よりも明るく彼を照らした。」と、綴っています。
彼はこの事こそが、何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実であった事に気がつきます。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだという真実です。
もはやなにも残されていなくても
もちろんここは平和の国日本ですから、強制収容所のような過酷な環境ではありません。しかしながらジュースを飲んでいるとは言えども、世の中には本当に美味しそうな食べ物に溢れかえっています。元々食いしん坊の私にとっては、長期断食は苦行以外の何ものでも有りませんでした。
しかしながら、フランクルが語った「人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれる!」という境地を、50日間の断食中に何度が体験するうちに不食への旅の本当の目的が、明確になって来たように思います。
「内なる愛の発見」の旅はまだまだ始まったばかりです。
昨日は摂取した水分と出て行った水分の出納帳を付けました。その結果も中々面白い知見が得られましたので、また後ほどアップいたしますね😊
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