【我が家の進撃の巨人を根絶!】
先日始めた「引き算の瞑想」についてストーリー風に記録中♪
引き算の瞑想は頭の中の人生のシーンの写真を
全て宇宙に返す瞑想法。。。
走馬灯のように人生を回顧することで
気づかない内に溜まったホコリみたいな感情の
ゴミもきれいにお掃除される
また、一旦きれいにお掃除されたと思っていた感情が
実はまだ残っていたことに気づくこともしばしば
◆我が家の進撃の巨人を根絶💓【在宅解脱しよ5♪】
(※ちなみに、進撃の巨人のモデルは酔っ払いなんだってね 笑)
朝子はある日の瞑想で頭の中の進撃の巨人のようになった
酔っぱらいの巨人が完全に根絶されたことを確かめた・・・
おてんば娘の真理子は小学校1年生の時に
学校で友達とふざけていて左手を骨折したことがある。
そして更にその1年後公園でローラースケートで
遊んでいる最中に同じところを骨折した。
2度目は複雑骨折で手術を受けてボルトで固定した。
女の子なのに同じところ2度も骨折するなんで母親として
真理子のおてんばぶりには心配の種が絶えなかった。
しかしながら、この2度目の骨折までは元気に
子供同士で遊んでいて起きた事故だし手術後の予後も
順調で、朝子もヤレヤレと一安心していた。
しかしながら、事件が起きた・・・。
それは手術後2ヶ月以上経ってやっと
ギブスも取れ親子で安堵していたある日の晩
家族ぐるみの付き合いのある旧友の
麻美の家に家族全員で遊びに行った時のことだった。
いつものように旦那たちは仲良く杯を交わした。
相変わらず、それぞれがお互いの会社での
ストレスを畳み掛けるようにぶちまけると言った体なので
はたから見ていると、話は全く噛み合っていないが、
そうやって心の内に溜まったものを吐き出すだけで
相当なストレス解消になるらしい。
その日の二人も調子づいて杯を重ね、かなり出来上がっていた。
真理子は進撃の巨人のようになった酔っぱらい共の前に置かれた
デザートのアップルパイを取ろうとした。
その時酔っ払いの一人が不意に真理子の体に抱きつき、
ゆうに80kgは超える巨体の重みを預けた。
朝子が「ちょっと、酔っぱらい!何してるの!!」そう
言うか言わないかの内に真理子の体の上に
酔っ払いの巨人が転がり落ちた・・・。
「やめて~、痛いよ、助けて!」と真理子の
叫び声に朝子は「何してるの、どけこの酔っぱらい!」と
声を荒げたが、魂が抜け進撃の巨人のように
なった酔っぱらいには声が届かない
朝子はどうにも動かない巨人に蹴りを入れ
夢中で真理子から引き剥がした・・・。
こうして真理子は同じ部位を3度骨折した。
3度目の骨折でその腕は少し曲がって付いた。
朝子は傷ついた我が子を更に傷つけた
酔っ払いがどうしても許せなかった。。。
朝子の中にそんな戦いの気持ちが残っていたせいか、
その後も午前様で帰って来ては子供に
絡む酔っ払いの巨人との戦いは続いた・・・
曲がって付いた真理子の腕を見るたびに
心の内に酔っ払いの巨人に対するやり場のない
怒りが沸々と湧き上がってきた。
しかも真理子を傷つけた酔っ払いたちは酩酊状態で
何が起きたのか、はっきりとは覚えていないとぬかし、
まるで罪の意識がない。そのことが余計に朝子の
怒りの炎を燃え上がらせた。とうとう、
酔っ払いの巨人との戦いで朝子も肋骨を折って負傷した。
この怒りは一体どこにぶつけたら良いのだろうか?
息を吸うたびに痛む胸の内を吐き出すようにして
綴った手紙を義母に巨人に復讐するために送ってみたが、
怒りは収まらなかった。
今思えば義母を巻き込もうとした自分が恥ずかしい。。。
しかしながら、当時は心が迷宮に迷い込んだようになっていた。
朝子は何とかこの怒りを成仏させたい一心で
催眠、カウセリング、コーチング、ヒーリング等の
セミナーハンティングを繰り返した。
でも、最終的に朝子を救ったのはそうした手法ではなかった。。。
それは一方的に傷つけられた可愛そうな犠牲者と
朝子が決めつけていた等の本人の真理子だった。。。
腕の傷が癒えてから、暫くすると真理子はクラブチームに
入って男の子に混じってサッカーをやりたいと言ってきた。
朝子はサッカーなんて「とんでもない!また、
怪我でもしたらどうするの?」と、頭ごなしに拒否した。
でも、真理子は外したギブスを持ってきて
「お母さん、このギブスは私を守ってくれるの。
これがある限り私は大丈夫だからね。だから、
お願いサッカーやらして」そう笑顔で言った。
「もう怪我はしない!私は守られている!」
子供心にそう心に誓った真理子を見て
朝子は「はっ」とした。。。
母親として「また怪我したらどうしよう」という恐怖心から
足がすくみ同じところで動けずにいたが、
3度も同じところを骨折して一番大変だった
当の本人はこうして前に進んでいる!
そして、ある日サッカーの練習から帰宅すると、真理子は
「練習試合で始めてゴールを決めたよ!」と嬉しそうに帰ってきた。
その姿は眩しいぐらいに光り輝いているように見えた。
朝子は瞑想でその当時の様子を事細かに思い出し、
そのシーンの写真を一枚ずつ丁寧に宇宙に返した。
同時に子供を守るという大義の後ろに隠れていた
酔っ払いの巨人への憎悪の感情も手放した。
朝子の心が浄化されたからなのか、あるいはコロナのおかげか
真夜中に酔っ払いの巨人が現れることもなくなった・・・(笑)
(なまけ者のさとり方より)
さとりとは、現在の私達の意識の限界を少しでも
広げる体験のことです。完全なさとりとは、
私達は無限の存在であること、そして宇宙全体が
生命を持っていることを知る、ということなのです。
(中略)
ただ、身も心も何もかも自分自身で全体的であればよいのです。
では、自分自身で全体的である、とはどういうことなのでしょうか?
それは狭量で限界のある考え方に片寄らず、あらゆるものを受け入れ、
自分の中に取り入れる気持ちを持っている、ということです。
言いかえれば、ポジティブな面に焦点をあてれば、必ず同時に
ネガティブな面を作り出している、ということを知っていると言うことです。
何かが分かった時には、それ以外のことについて、自分は無知である
ということを認める、ということです。神聖な使命感を持ったならば、
その裏側の罪と共に生き、その責任を受け入れてゆくということなのです。
(中略)
しかし、そのようなネガティブなものに対しても常にオープンで、
一切抵抗しなければ、私達はそれにつきまとわれずにすみます。
自分の中にみにくいものの存在を許してあげれば、私達は
美しいものを自由に作り出すことができるのです。
(一部引用終わり)
朝子は引き算の瞑想を通じて、いかに自分が宇宙の
ネガティブな面にのみフォーカスして酔っ払いの巨人と
戦うことばかりに注視してしていたか!
そのために、子供のたくましく成長する美しい姿を
あやうく見逃すところだったことに気づいた。
宇宙は自分の心がフォーカスした所だけ
スポットライトがあたってその姿が顕になる。
常にオープンであらゆるものを心の中に
受け入れるスペースを作っておくことが
意識を拡張させることの本質であることに朝子は気づいた。
PS:今日も長文お読みいただきありがとうございました!
死ぬ前に走馬灯のように自分の人生を
映画のように見ると言われていますが、引き算の瞑想は
それを生きているうちにやっているような感じです♪
意識を拡張させるとは、起こっている可能性があること全ての
全体像が見えていること。瞑想で過去の写真を手放しながら、
そんな気づきを得ています