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Channel: スピ系歯医者の心身リセットラボ
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究極の終活♪

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【究極の終活♪】


先日、朝の通勤途中駅を降りて歩き始め
見慣れた交番の角を曲がろうとすると
そこに人が倒れていた。

遠くから見ると一瞬浮浪者か酔っ払いの類いかな?と、
思ったが、近寄ってみると立派な腕時計とカバンが、目に入ってきて、そうではなさそうだった。

「どうしましたか?どこか痛いところはありますか?
救急車を呼びますか?」と声をかけると
呼びかけに応じ、頷き返事をしてくれた。

あいにく、すぐ目の前の交番は留守だった。
少し電話の操作に戸惑いながら119番を押してみた。

119番に通報したのは初めてだった。。。

普段私たちはせわしなく生活することで
いつかこの肉体を去る日が来ることを日常生活に埋もれさせ
考えないようにしている。私もそうだった。

でも、こうした出来事や訪問診療の仕事に携わるようになり、
その日が誰にでも来ることを、常に意識するようになった。

あなたは死に対してどんなイメージを持っているだろうか?
今生ではまだ臨死体験をしたことがある人を除いて
私たちは死んだことが無い。

だから、死は親や教育、メディアが作り出した
外側から見たイメージしか持っていない。
そのイメージは、一切の終焉、苦痛、悲しみ、等を
もたらす恐怖そのものだ。

でも、もし私たちがその瞬間内側からその死を見て
イメージすることが出来たらどうだろうか?
光明を得たものの死は生の頂点であり
エクスタシーだとOSHOは言う。

 

一部死についてOshoの言葉からより引用

死は終わりではなく、新しい生の始まりだ。
そうだ。死は、何かすでに死んでいるものの終わりだ。
死はまた私たちが生と呼ぶものの頂点でもあるが、
生とは何かを知る人はほとんどいない。

彼らが、あまりに無知に生きるので自分の生に直面することがない。
そしてこのような人たちには、自らの死について知ることは不可能だ。

というのも、死は今世の究極の体験であり、

来世の始まりの体験なのだから。
死は、二つの生をつなぐ扉だ。
ひとつは後に残され、ひとつは前方で待ち構えている。

(引用終了)
死は次の生への始まりに過ぎない。
私たちの内にある純粋な気付きの意識は
本来生まれもしないし、死にもしない。


でも、私たちが余りにも無知な為にOshoによれば、
99%の人がその瞬間を受け入れることが出来ずに恐怖の中、

麻酔がかけられたようになり何が起こったか覚えていないそうだ。
だから、次に気づいた時にはまた肉体に宿っているが
自分が誰だかをすっかり忘れてしまう目
私たちはこうして自ら、認知症の症状を進行させてきた。

でも私たちは今回の転生で記憶をつなぎながら、
次の生への神秘の扉を開ける偉大な機会を与えられた。

純粋な気付きの意識と完全に一体になり
死を抵抗なく完全に受け入れることが出来れば、
死は肉体から開放される喜びと至福のダンスを奏でる時になりうるラブラブラブラブ

次の転生が始まるにしろ、始まらないにしろーそれは最高の喜びだ!
(生きているうちにエゴの欲望を完全に溶かすことが
出来ればもう肉体には宿らないと言われている)


そうなれば、死の度にもう忘却の彼方に消え入ることもない。
死は幻想となる!恐れを抱くな!
「目覚めた意識でそれに望む」これ以上に
今回の転生で大切なことが有るだろうか?
「死を超越する」これは究極の終活だアップ

また時間が有る時に終活について具体的に書いてみるね~ラブラブ
興味有る方いるかな?(笑)


 


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