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在宅瞑想物語(これ以上大切なことある?)

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◆これ以上位大切なことある?

先日始めた「引き算の瞑想」について
色々と気づきがあったので備忘録を
エゴが全面に出てないように感じるので、
他人事のようにストーリー風に書いてみます♪

【在宅瞑想物語】

「私、家にいながら悟りを目指す!」
先日、朝子は旦那にこう在家出家宣言をした。

最も出家と言っても、特にどこかの宗派の
仏門に入るわけではなく、家にいながら
瞑想に出来る限りの時間をさき、
悟りを目指すというのが朝子の意図だ。

 

しかしながら、何を宣言したところで旦那は

朝子のやることになどこれっぽっちも興味を
示すことなど無いことは朝子も夫婦生活
25年の経験から重々承知をしていたし、
朝子もそれは同じだった。

むしろその方がお互いに自由に
好きなことが出来るので
朝子もその距離感を心地よく感じていた。

もちろん夫婦がそんな境地に至るまでには
通常、紆余曲折を経ているものだろうし、
朝子たちも例外ではなかった。

 

旦那は午前様で酔って帰ってきては
子どもたちに絡むし、朝子は蹴られて
肋骨を骨折したこともある。

しかしながら、酔っぱらいのDVというのは
タチが悪いもので、酔いが醒めてしまうと
昨日の自分の愚行を殆ど覚えていないと

抜かし罪の意識などは皆無だった。

朝子も若いうちは一方的に旦那が悪いと
責めたて、無理に謝罪させようと躍起になった。
でもいつしか、それが余りにもエネルギーの
無駄遣いであることに気づき朝子は
次第に自分自身の内面に意識を向ける
瞑想に興味を持つようになった。

 

それまで瞑想の本格的なトレーニングを
受けたことがなかったし、朝子が知っていた
瞑想のイメージは心を鎮めると、神の啓示風の
メッセージが聞こえるといった類の
ちょっとカルトぽい感じのものでしかなかった。

でも朝子はどうしてもなぜ旦那は酔っ払うと
暴力を振るうのか?その答えが欲しかったので
瞑想で自分の内側に入り「神の啓示」を求めた。

「求めよさらば与えられん」とはよく言ったもので、
朝子にもついにその「神の啓示」はやって来た。
今考えるとそれは「神の啓示」というよりは
心が作り上げた心象イメージに過ぎず
ストーリーの中で遊んでいただけだろうと思うが、

その時の朝子は「旦那とはソウルメイトで
來世で朝子の事を傷つけるようなことを
するかもしれないが、全ては朝子が
悟りを開く為にすることだから、
嫌わないで欲しいという中間生の約束をしてた」
 

という瞑想で得た「神の啓示」風味の味わいに
酔いしれ、もっと瞑想について学びたくなった。
それが今回の在家出家宣言につながった。

 

この宣言の時朝子は珍しく
なぜ瞑想が第一優先になったのか?
その理由について旦那にこう説明した。


「生まれ変わりって信じてる?

もし生まれ変わりがあるとしても
私達って記憶がリセットされちゃうよね。
でもね、今生の記憶を來世に繋げる
ことが出来るとしたら、どう思う?

それが出来たら生と死の概念って
無くなるよね。どうやら瞑想を
極めて本当の自分に出会い
覚醒すると記憶を繋ぐことが
可能になるみたいなんだ・・・

どう思う?人生で取り組むべきことで
これ以上大切なことってあるかな?」

旦那は説明を黙って聞いていたが、
朝子が「もしあなたも興味あるようなら
瞑想センターに連れてってあげても良いよ」
そう言うと旦那は珍しく「明日は都合が悪いが連休2日目
だったら行けるかも」と、反応した。

朝子は予想外に真面目な旦那の反応に
やっぱり人生で「自分は誰なのか?を知る」こと以上に
大切なことなど無いと確信したのだった。

(続く・・・)

韓国の覚醒者ゲートさんは
生の記憶についてこう語っています。

(引用元https://101candle.jp/column-77.htm

 

 

 

残念ながらあの世に行く時に持って行けるものは、何もありません。
スティーブはそれでも「私が持って行ける物は 愛情にあふれた思い出だけだ」と言いましたが、
それは生前の、スティーブの素朴な願いであるだけです。

肉体で再び転生した時、どこの誰も前世の記憶を持って来れないまま生まれるように
肉体を抜け出して死の過程を経る時、どこの誰も生の記憶を守ることはできません。
 

ある刺激があった時、ぼんやりとしたかすかな感覚を持つくらいが、ほとんどです。

結論的に言えば、生と死が変わる時、そのつながりは徹底的に途切れるというのです。
夢は憶えていられると言っても束の間に過ぎず、すぐに現実の領域では跡形もなく消えてしまうように生の前では死がそうであり、死の前では生がそうなのです。

 

したがって死んだ後での生の記憶は、刹那に過ぎません。
なぜこのような事が起こるのでしょう。知らないからです。
私が誰かを知らずに生きているから、私は生きたといっても私の生が何なのか、わかることができず生が何であるかわからないので、私の死もまた、わからないのです。

 

したがってすべてのことが、わからないまま進められているのです。
無知、迷い、迷妄、没自覚の状態で、です。
目覚められないとは、このように、夢の中を彷徨っていることなのです。

夢のような生を生きて夢のような死を迎え、夢のような死後の生活をして
夢のような輪廻をし、夢のような転生をするのです。
 

夢が夢を生んで、その夢の中でまた別の夢を見ているのです。

私たちは世の中で最も価値のある事は、悟ることだと聞いてきました。
事実上、私たちがこの世の中で、これ以外にはすることがないのです。

なさってください。


(引用終了)

 

いかがでしょうか?
「夢から覚めること」これ以上に大切なことって
あなたには何か思いつきますか?

 

◆考えを手放す瞑想のメソッドはこちらから

https://meditation.co.jp/method/

 

 

 

◆引き算の瞑想の考案者のウミョンさんの著書です♪
 


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